5.31.2009
「英国王給仕人に乾杯!」
素晴らしい傑作だ!という新聞評を読み、期待して見に行ったのだが…
一緒に行った人は「ぜんぜん詰まらなかった」と言う(;´д`)
私は、「見て損をした」とは思わないが、趣味が良いのか悪いのか分らないような映画だった。
過去と現在を回転ドアのように入れ替える手法も鮮やか、女性を花で飾ったり、 紙幣を美しいカードのように並べたりする装飾性、テンポのよい展開は、見ていて飽きさせない。
ひとりの男の辿った道、小さな国の来しかた、近い過去。
私は、中国の昔を連想してしまった。
「歓びの館」の主(車椅子)が中国商人のような風貌でもあった。
力(金)を持った男たちの、アラレモナイ酒池肉林の図。
また対照的な、”心ある男”が、異民族に支配されることを、潔しとしない態度。
主人公は、その潔い男ではない。
己の利のため、危いところに出入りしながら、辛くも
生きのびた庶民のひとり。
人生いろいろあるよ、あったよ。過ぎてみないと分らないもの。
今は分る(ように思う)歳を取るのもわるいものではないー
この重奏低音?が聞こえるようにも思った。
日本語の題「英国王給仕人に乾杯!」は、イタダケナイ (;´д`)
ポスター(チラシ)には裏切られた気がする(>_<)
この題名にヤンが正装(勲章付き)した姿。
ヤンのいかがわしさを表している、と受け取れば良いのだろうか?
「わたしは英国王に給仕人した」と言ったのは、主人公ヤンの上司=文句のつけようのない給仕長、国(チェコ)最高のホテルの。
5.15.2009
阿修羅
「Story of …めぐり逢う美の記憶」(物語付きのカルティエ宝飾展/表慶館)を見に行った際、
横目で見て、余所事に思っていた「阿修羅展」の行列に、昨日、並んだ。
優に1時間。
並んでまで見るものか?と、訝しみつつ、友人に招待券(想定外)を貰ったのを無駄にしないよう(^^;)
1時間の間、読み進めた文庫本は「劔岳」(新田次郎)。命懸けで、凍える山に登る話である。読む私の周りは、緑の風、爽やかな五月の陽光に照らされて紙の上も明るい。
この本のお陰で、立ちながら待つ時間の”苦痛度”は下がったに違いない。
館内も(当然ですが)たいへんな人出で、どうなるものか、と思ったがーーー
阿修羅像は、輝いていた!以前、興福寺で、面会したことはあったが、その時よりー
また、本やポスターの写真よりー遥かに美しいと思った。
展示の仕方や照明のお手柄だと思う。嘘の美しさというのではない。本当に美しいからだと思う。しかし、これほど美しいとは!見せ方の上手さであろう。
他の、大きな仏頭や小さな水晶玉、色々なものも、見易く、見栄えよく、展示されていた。
阿修羅は、素晴らしいお顔、腕の細さも格好よい。手の指は、子供っぽい、これは、当初のものだろうか?
正面のお顔に比べて、左右の二人?の面は、気合いが足りない (;´д`)
常設展のほうにも、廻って、ゆっくり見る。(こちらは観客も疎ら)
序で、オマケと思うせいか、だらりだらりと(^^;)
一着(一領?)の鎧下着に目が留まった。
身頃は、産着を、袖は、女物の小袖を利用して作られたもの。白い絹と金の縫い取りが上質。
パッチワークのようなものだが、とてもデザインが良く、好ましかった。
鎧の下に着せるものとして、その人を、大事に包んだろうー
幸運を願われた人の姿を想像した。
そのあと、「尼門跡寺院の世界」展にも行く。
まことに愛らしい品々を見ることが出来た。一つひとつに、濃やかな手、時間が掛けられていて、長閑で、真摯な生活、豊かな文化を見る。
中には、凄く頼もしい尼様もおられたことが分る。
筆頭は、徳厳理豊尼という方。絵も、お上手だが、雄渾なる墨痕には吃驚した!
敬虔であり、責任感と実行力があり。
「阿修羅展」に名のある橘三千代(所持の阿弥陀三尊の素晴らしいこと!)も、よく解らないが?ゴッド・マザー。エネルギーと幸運に恵まれていたひとだろう。ヨソゴトながら(^^;)
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