11.24.2008

太宰府

太宰府政庁跡
礎石が顕われている。夏はホタルが飛び交うという。



古代の景色にも柿の木は似つかわしい。これは、渋柿だった (;´д`)



観世音寺の庭。松は常磐。「私は緑only! (朱に交わっても?)染まりませんことよ!」(民ちゃんのセリフ!)





大丸別荘、廊下に、この方のこの言葉が(^_^)v(^_^)v
淀川長治は神様です!




太宰部天満宮裏のお石茶屋。これは可愛い〜v(^_^)v「おかめうどん」!
福岡の一番美味しいうどんは「牛蒡天うどん」ですが(^^;)

11.03.2008

宮廷画家ゴヤは見た/ミロス・フォアマン


運命。彼女の肖像画と彼の肖像画が、ゴヤのアトリエで出逢うのである。
商人の娘は天使、聖職者の彼は悪魔。居合わせたゴヤは、
最後になって、傍観者であることを罷めて、天使を救い出そうとする。
異端裁判も、戦争も、王の暗愚も、絶望的だが、
神の目からは、どうなのか?
「愛の真実に迫る問題作!」
無惨なイネスが、これも無惨なロレンソを取り戻したことは、報われているのかも、しれない。
ロレンソが、転向に重ねて、再度の転向を、表明しなかったことは、どう転ぼうと、同じこと、という目。
二人とも、恐ろしい。夢に出て来て(私が)魘されそうな表情だった。

ステラン・スカルスガルドという俳優が演じたゴヤは、安心して見ることが出来るキャラクターだったが、ゴヤらしさを感じなかった (;´д`)スゥエーデン人である。安野光雅に似ていると思う(^^;)

ゴヤの絵が、沢山スクリーンの大画面に映されて、これは良かった。

アフタースクール/内田けんじ


大河ドラマ「篤姫」で、篤姫(宮崎あおい)の背の君を演じる堺雅人が、何ともかんとも良かった…ので、夢の続きを見たい思いで(^^;)足を運んだ「アフタースクール」!
堺雅人の持ち味は損なわれていないながら、他の登場人物たちも、等しく、良き味を醸し出していた。

常磐貴子など、私は、虫が好かない?というか、美人であることを認めたくない存在だったのだが、この映画では、「1番の人」であることが、じわじわと、腑に落ちる美人となった。このひとは、充分、幸せになる権利がある、と思った。
そのために!大泉洋が、抜群の人として現れた!!!彼は、脇役として登場するが、徐々にしっかりして?くる。
もうひとりの男=佐々木蔵之助も、いかがわしき風情に過不足無く、負けていない (;´д`)田畑智子も上等(^o^)/~~~~
むかし格好良かった山本圭は老残をさらしてギャップを感じたが(>_<)これも役目か…

まったく、オセロゲームの終盤で、黒の駒がバタバタと白にひっくり返るような胸のすく”大逆転勝負”
参りましたm(_ _)m


「幻影師アイゼンハイム/ニール・バーガー」を次の週に見た。
”ウィーンが舞台なのに、英語劇”であることに違和感があるが、19世紀のその街の雰囲気を溢れるように見せていた。
こちらも、あっ!と驚かされる夢のような結末で、前半の無惨を解決していた!!!しかも、強力な邪魔を断ち切り、哀しみも艱難も乗り越えて、慎ましくも最高の愛の生活が、今、始まろうとしている、
「アフタースクール」と同じく(^_^)v(^_^)v

9.09.2008

モンテーニュ通りのカフェ/ダニエル・トンプソン


”パリ命”のおばあちゃんに育てられた女の子ジェシカが、そのパリに“出て”きて、モンテーニュ通りのカフェで働く事になる。ジェシカ(役)が久本雅代に見えて、とても困った (>_<)

どうってことない?女の子は、若いことが取りえ、耳も目もクリアだ。吸い取り紙能力が上々だ。強烈な人々の棲息濃度が高い環境に”飛び込んで”世の中の面白さを知る、お話、
ありきたりの設定、在り来りの展開なのだけど、
かって、ジェシカのおばあちゃんがそうであったように、ジェシカにも、青春の日々として、結構な財産になることでしょう。雰囲気のある年上男性と、そのあと、どうなるかな?

パリの街は、老いも若きも、富豪にも貧者にも、才能ある人にも、そうでない人々にさえ、『宝の山』である。

9.08.2008

散歩する惑星/ロイ・アンダーソン


題名から、もっと愛嬌のある映画だろうと予測して見に行ったのだが…ドチラかと言えば、無愛想。ユーモアが無いとは言えないが、ブラックでシュールだ。見終えて、あまり、気持ちよくない。これは、現実世界の気持ち悪さであろう。痛い(>_<)

街中の人達が、ササやかな幸せを求めて、同じ方向を目指しているために、大渋滞に巻き込まれるばかり。しかし、人々は、自分が、何所に行けばよいのか(分っているのか)???
求めるものが慎ましいワリには、とんでもないことをしでかしている。他人という生きものに対して!!!

このフィルムの中に、神の存在は認められない。(その代わりのように)詩人は預言者であった。

8.11.2008

本当の二十一世紀に会えるのはいつ?/フェレシ テナジミ

フェレシテ ナジミさんは、以前も、出場しておられたんですね、
4年前の発表を見つけました:

皆さん、今まで、他の皆が楽しんでいる時、ふっと悲しみに包まれたことがありますか。
実は皆が楽しんでいる花火の夜に私はなきました。花火の爆発の音が聞こえてきた時、知らず知らずのうちに涙がほおを流れてしまいました。私は子供の頃に、よく聞こえていた音を思い出してしまったのです。その頃、爆発の音が聞こえてくると必ずなにかが無くなっていました。そういえば友だちと自分の名前を刻んだ机もその音が聞こえ時、なくなってしまいました。先生が見ていないうちに自分の名前を机の上に刻むことも、他のいたずらのように楽しかったですが、机が無くなった時、つまり学校が爆撃された日、その楽しさも、なくなってしまいました。
「どうして?」と父にたずねたら、「戦争だからだ」と言われました。「戦争!?」まだ子供だった私は、戦争の意味が分かりませんでしたが、「きっと嫌で怖い物なんだろう!」と思いました。
子供の頃、怖い事があると、私はいつも父の腕の中に逃げ込んでいました。そんな時、私を抱きしめてくれた父の笑顔は素敵で穏やかでした。それで安心することが出来ました。初めて爆発の音が聞こえたときも、怖くて父の腕の中に逃げ込みました。でも父の顔を見たら、今度はいつもと違って目が涙でうるんでいました。
世界で、一番強いと思っていた父の涙なんてこの時まで見たことがありませんでした。
毎日の怖い爆発の音、なくなってしまった学校、自分の子さえ守ってあげられないという父の辛さ、心配と不安に悩まされてしまった母の顔、私にとっての戦争。忘れようにも一生、忘れられないことだと思います。
人を悲しませ、かけがえのないものをうばう戦争をいったい何のためにするのか。人間だからもっと優しくいたわり合うことが出来ないのかと成長して大人になった私は、いつも心を悩まされました。
火星まで行けるほどの知識をもっている二十一世紀の人間は、石器時代の人間のようになんでも戦争で解決しようとしています。私は、もう二十一世紀ですから、人間はもっと大人になってもいいころだと思います。そうしたら
本当の二十一世紀に会えることができると思います。では、どうすれば平和に解決出来るのでしょうか。

実は、日本に来たばかりの私の心の中にも小さな戦争がおきてしまいました。
日本に来てから、ずっと私は、イラン人である自分を周囲の人に受け入れてもらえないと感じていました。例えば、電車の中で、こんなことがありました。「ハロー」と若い日本人の女性に話しかけられました。「どこの国の人ですか。」と英語で聞かれ、「イラン人です。」と答えたら「あぁ、そう!」とサーッと行ってしまいました。あの日、本当に悲しかったです。「イラン人じゃ、ダメなのかな!」と思うようになりました。でも私はイラン人である自分を変えたくありませんでした。だから自分を守ろう、と周りの人の考え方を変えようと必死で頑張りました。そうして自分の中におきていた戦争にずっと苦しんでいました。
いつの間にか、その戦争も終わりましたけど、今考えてみたら、なんだか分かるような気がします。その戦争がおきてしまった理由が何かと。違う私を望んでいた日本人、違う考え方を望んでいた私こそがその戦争の理由だったと思います。
そしてやっと、出会うことが出来ました。日本に来て、初めての友達と。彼女は私をそのままで受け入れてくれました。自分を変えなくてもいいんだと、ようやく安心することが出来た私は、その時まで口にもしなかった日本食を食べることにしました。「食べてみなければ、分からない!」と思い、何よりも臭いと思っていたナットウまで食べてみました。食べ続けたら、そのうち美味しくなってきました。なれない食べ物になれたら、なじめない考え方も理解できるようになりました。そうして心が穏やかになりました。やはり理解し合えば、戦争のない世界が作れるのだと分かりました。そして、私は決心しました。違う世界をもっている人間だから、逃げないで、話し合うことを。話し合えば、きっと目の前に新しい世界が広がると思います。見えるようになった世界を戦争せずに、受け入れるのは二十一世紀の大人だと思います。私は、そうして、本当の二十一世紀を迎えたいと思っています。
そして戦争のない、本当の二十一世紀を一つの贈り物として、自分の子供にプレゼントしたいと思います。皆さんも一緒にいかがでしょうか。一人一人が自分と違った物をそのまま、受け入れることが出来た時、本当の二十一世紀に会えるはずです。

8.06.2008

外国人による日本語弁論大会

大会は、6月14日(土曜)、川越市で開催され、今年で49回目だという。
日曜日(8/3)の夜遅く、テレビで放映されていたのを、静かに見ることが出来た。
暢気に、目の前だけ見て?暮しているところに、『喝』を入れられるような、しかし、節度と思いやりのある言葉が選ばれて、聴く人の心にスッと届くような、大変優れたスピーチだった。
そのなかから、幾つかを、紹介: