3.17.2008

白い花のように


訃報に気が付いてから、茨木のり子の詩を読んでいる。
少女のころ、アンソロジーで読んで、茨木のり子の詩だと知らなかった(覚えなかった(^^;))が
ずーっと、心のなかに住み続けていた詩が、時間経過とともに、今になって、よく解る気がして、時折(折りにふれ?)思い浮かんだ。
その詩を、ここ(今読んでいる)に見出すと、彼女の総体にぴったり納まる。
『小さな娘が思ったこと』という詩。まったく茨木のり子、私はまったく、小さな娘だった。

茨木のり子の名とともに覚えた『わたしが一番きれいだったとき』は、母達の世代の歌である。
山田太一のドラマに、このままの題名を付けられたものがあり、それはそれは、深い共感を抱かせるものだった。

そのほか、暗示のように立ち現われたのは、『花の名』という詩。これは、今、初めて読んだ。
「わたし」の父は、かって、「女のひとが花の名前を沢山知っているのなんか/とてもいいものだよ」と言った。
その女性が、父の告別式を終えて、帰る列車でのお話。
長い詩の終わりの方で、辛夷の花が、もう、咲いていた、ということが、語られる。
あ!と思う。
私の姑が亡くなって、駆け付けた夜、玄関脇の大きな白木蓮(か?辛夷?)が、まるで、篝火のように、無数の花を、満開に咲かせて、私達を迎えていた。夜目にも著しく。その命日が、今日である!