100年前に写された場面と全く同じところで、今(一昨年?)再び、中国の写真家=侯元超による撮影が行われた。
大量の対象物(過去の写真300枚と現在の現場)を見つめることで、現代の写真家が、得たであろう、過去、現在、未来、の感覚を、想像した。
侯カメラマンはデジタル撮影。100年前の写真師=小川一真は、銀塩写真ならぬ(それより価値ある!)プラチナ焼き付けというものだそうだ。ガラス乾板が残されていた幸運!
私が訪ねたとき、展覧会の会期が終わりかけていた。
前半と後半で、全ての作品が入れ替わったことを知り、非常に残念だった(>_<)
全部!見たかった (;´д`)!
紫禁城はあのように広大だから!
目(→シャッター)が切り取った場面は、ほんの一部分である。
厳選された場面が、見る者を誘導する。
壮麗な紫禁城、息絶え絶えであった清朝宮廷を偲びつゝ、
100年前の技術者の知(血ではあるまい!)と汗を透かし見る。
今は、住む人が居なく、観光客が押しかけている”故”宮だ。