4.03.2009

アンダーグラウンド/エミール・クストリッツァ


エミール・クストリッツァという映画監督の存在に、今まで気が付いていなかった!

『ジプシーのとき』を、薦められて レンタルビデオ店で探したのだが、それは無く、同じ監督の「アンダーグラウンド」を借りてきた。(それも、推薦子のイチオシ映画!)

”大映画”だった!
舞台も大掛かり、ストーリーも骨太、シリアスかと思えば可笑しみもあり。
奇想天外な設定にあっと驚き、一人ひとりの人物の、明日がどうなるのか?とても知りたくなる。ばらばらに居なくなるのだけれど、演劇が終わって、カーテンが閉まった後に、全員が手をつないで舞台に姿を現すように、観客の目の前に、帰ってくる。身に受けたものを、忘れないが、許す、と。

忘れないが、許す、ということが、要諦。
曾って、ある国がありました、と、語り継いで行くために。

この映画が作られた1995年、ユーゴスラビアという国名は、存在していたはずだ、辛うじて。

一人ひとりが、生き抜くため、であっても、「自分(だけ)が正”義”」と思い上がって他を貶めては、悲劇の始まり、であり、情けない顔、と見える。

最後の場面、人々が立つ浮き島は、ユーゴスラビアの国土の形だろうか?

ところどころ、実写のフィルムが混ぜられているようだ。
映画自体が”劇”でありつつ、入れ子になった“劇中劇”も意味深い。
虚実混ぜ合わせ、見えないもの(歴史の流れの中に身を置いていてもー)を寓話のように語る。
(目に見えるものだけを信じては行けない)(大切なことは、目には見えない)
音楽もドンピシャリ。

曾って見そびれた『グッバイ・レーニン』(予告編は見た)も、あの辺りの映画だろうー

近ごろ見た『懺悔』(制作されたのは1980年だそう)も、思い出した。<cinematoday懺悔へ>
”不気味な好人物風”の独裁者が、気短かで愚かであることがとても良く判るのだけど…
映画(懺悔)を見ている最中は、スターリンかヒットラーのモノマネ(顔真似)と思ったが、
暫くして(何日も経って)あれは、毛沢東の容貌/体格にも似ているような気がしてきた。
恐ろしすぎて、冗談に紛らわせたい気分も分る…