●トルコとの戦勝を、プロイセン王から、祝う印(気持ちを表し好意を請う、かこつけて?)としてプレゼントされたもの。
白い磁器の肌は、如何ような図柄も引き受けられるので、記念のテーマを描かせて、贈答品とするのに適当。しかも、途方も無く高価なものだから(贈り物の)効果抜群。プロイセンは、領土問題を、宜しくお願いしたかったとか。
ロシア兵、トルコ兵、戦争の色々な場面が、綺麗に描かれている。クリーム器(ホイックプリーム用)も、小さな花瓶も、銘々用に揃えられていた。

●ピョートル大公(→ピョートル3世、1762)とゾフィー(→エカテリーナ)の結婚(1745)祝い、ザクセン王から。マイセン。
ロシアの守護神・聖アンドレイの十字架(X)が描かれている。磔られた人もリアルで、食欲を削がれそうだ (;´д`)


「1774年に即位したルイ16世と、新しく関係を結ぼうと、しゃれたお世辞でもあった」という解説が面白かった。卑近である。


以上、5つを数えられるセットだが、展覧会の見出しは「四大ディナーセット」となっているのは何故?
トルコ戦勝祝いのセットは、「デザートセット」である(ディナーセットとなっていない)(^^;)
だから?ですかー
それぞれのセットが、800点、900点という量であるいるという。
数多の良く出来た人形たちも、目を引いた。
ロシア宮廷の、華麗なる御代は、時の流行に、力一杯、適合している。
クラスメートの中で、あっちを見、こっちに気を使う女学生のようだ。
抜かり無くトレンドを抑えて、リーダー格(^_^)v
田舎者の善良さと頑張りを見るような気もする。女帝は、西ヨーロッパの生活、衣食住、に憧れていた。
美意識や知性に近づく努力を怠らなかった。展覧会の5大セットは、女帝一代の稼ぎである。
ヨーロッパ諸国は、東洋の磁器に憧れて頑張ったのであったが。
何故、ヨーロッパは、あれぼど東洋磁器に執着を見せながら、長らく、
自ら制作することが出来なかったのか、不思議に思う。
「物」は入って来ていた。物を運ぶルートはあり、携る商人はいたのだから、
「作る人」を連れて着る(日本がやったように)、若しくは、自国の職人を、送り込んで、習得させる、ということは不可能だったのだろうか?
龍騎兵600名と龍紋の壷151個を取り替えたという話もある。(Dragon Vase)
それほどなのに、なぜ!
昔は、王侯にとっても贅沢なものであった。下々の者には、想像することも出来なかった磁器は、
今(気が付けば?!)ありふれたものになっている。
コンピューターというハイ・テクノロジーが、パソコンとなって、我が家にあっても、違和感のない時代になったことと、似ているかな?(^^;)