Ms. Freshteh NAJMI (イラン・大東文化大学・大学院生)
私が来日して七年になります。この七年間、私は多くの人と話をし、様々な日本語を耳にしてきましたが、その中でもよく耳にした言葉があります。それは、「大変」という言葉です。この言葉を口癖のように使う人もいるほど「大変」という言葉は日本人の間で非常によく使われています。この言葉の意味を現代国語辞典で引いてみると、「大変苦労する様子」とありました。
日本は平和な国です。他の国同様に日本の憲法にもある程度の弱点はあるものの、国民を大切にする法律が多々定められています。人権は尊重され、努力さえすれば普通の暮らしができるほどの収入が得られます。日本では、民族や宗派の争いもなければ、戦争も起きません。失業率も少なく、飢え死にしてしまう人等は皆無と言ってもいいでしょう。いくら貧しい生活を送ったとしても子供は義務教育を受けられます。だからこそこんなにも恵まれた国の人々が「大変」という言葉を使いたがる理由が私にはどうしても分かりません。
私の生まれ育った国イランでは、様々な問題を抱えています。他国からの攻撃を受ける危機や、経済制裁等によりイランの国民は非常に厳しい状況で生活をしています。イランイラク戦争が長引いてしまったせいで、イランの人口の70%が25 歳以下の若者です。経験豊富で知恵や技術のある中高年の人達が少ないのです。これが経済や技術の発展を遅らせる原因とも言われています。また、イランでは働かなければ生活できない子供も少なくありません。このような子供は学校で過ごすべき時間を労働に費やしています。しかし彼らに話しを聞くと、皆素敵な笑顔で将来の夢を語ってくれます。なぜでしょう、決して「大変」という言葉を口にしないのです。イラン人というのは特にスーパーマンなわけではありませんが、「大変」という言葉を使う習慣はないのです。
私は留学のため20 歳の時に来日しました。学費を払いながら自活し、勉強することは簡単なことではありませんでした。学費のため節約するしかありませんでした。食事に使えるお金は限られていて、断食する日もあれば、一日を100 円だけで過ごす日もありました。100 円で買えたのはモヤシを三袋です。朝、昼、晩、一袋ずつです。しかし、モヤシ一袋では満腹になりません。お腹が空いていれば人間は寝付けないのだと私はその時初めて分かったのです。それでも私は「大変」とは思えませんでした。なぜなら私には勉強したいという強い意志と、達成したいゴールがあったからです。ゴールに辿り着くことを楽しみにし、自分で道を選択したなら、「大変」とは言えないのです。
残念ながら日本では、「大変」という言葉が日常で使われるだけではありません。日本の社会は時に「大変」という言葉を強制的に人々に言わせようとします。私は昨年奨学金に応募し、試験を受けました。試験は自分の国の紹介がテーマの小論文と面接でした。私は小論文を書く試験には合格することができました。私はよく日本の高校などを訪ね、私の生まれ育った国を紹介しているので難しいことではありませんでした。しかし面接では落ちてしまいました。私が一言も「大変」という言葉を使わなかったからだと思います。
私は奨学金というのは寄付金とは違い、社会が必要とする学問の研究を手助けするためにあるものだと思っています。そうであれば、面接で重要となるのは私の研究方針であり、社会においての私の研究の重要性や必要性だと考えていました。しかし、面接で私が受けた質問は研究とは無関係な質問ばかりで、お涙ちょうだいというような雰囲気のものでした。
母語で話せる友人も家族もいない留学生というのは言うまでもなく、精神的にまた、環境の面でも問題を沢山抱えているのです。それをわざわざ言わせる必要等ないと思います。奨学金というのは、沢山の問題を抱えながらも社会での活躍や学問に励んでいる学生を支援するためでなければ無意味だと思います。私の友人も奨学金に応募したそうです。「面接官の悲観的な質問を受けたので、面接では自分の貧しさをいかに上手く表現するかで奨学金が決まる気がした」と彼女は言っていました。私は、自身で考える力、何事にもチャレンジする精神と自分の意見を恐がらずに言う勇気があります。これらはお金と換えることの出来ない私の宝物なのです。そう、私は決して貧しい人間ではありません。例え求められたとしても私は「大変」という言葉を使うことはできません。「大変」というのは夢を持てない時なのです。夢を持った人間には「大変」という言葉は相応しくありません。皆さん、夢があれば「大変」は楽しめるものなのです。夢を持った人間がたくさんいる社会ほど幸せな社会はありません。皆さん、どうぞ夢を持ってください。「大変」という言葉ではなく、「楽しみ」という言葉を使って、自分の選んだ道を歩んでください。
御清聴ありがとうございました。