『時の旅人』(アリソン・アトリー 作/松野正子 訳)p.19
階段の壁には、ウイリアム・モリスのデザインの壁紙がはってありました。春の緑の森のような木の葉の模様で、私はよくこの階段にすわって、ロンドンを遠くはなれた森の中で小鳥のさえずりにかこまれているつもりになったものでした。その日も、夕方、私は両ひざをおりまげて階段にすわって、街灯に灯が入るのを待っていました。青みがかった夕闇があたりをつつんでいました。点灯夫が口笛を吹きながらやってくると、家の階段にかすかな明かりが射しこみました。家のすぐそばに街灯が一本あって、その街灯の光が玄関のドアの上の扇形の明かり窓から射しこむので、家ではガス灯を使わないですみました。家には電灯がなく、家主は古い家に電線をひくのをこばんでいたので、家のガス灯をつけるには、いちいち料金入れの穴にペニー銅貨を入れてガスをださなくてはならないのでした。」
アリソン・アトリーという人は、1884生まれだそうで、物語の主人公が、作者を反映していると想像すると、19世紀末ごろのロンドンでしょうか、「いちいち料金入れの穴(ガス)」ということに、驚きました。
少女ペネロピーは、夕暮れ時の階段で、よく夢のなかの人を見、現実の生活と別の生活をする-という物語です。
子どもから大人になる時のあわいに、たち現れる夢の時間。
子どもも大人も、うかうか痩せた時間を過ごしたくないと思うけれど。。。
堀口大学の優しい詩があります。
<夕ぐれの時はよい時>
夕ぐれの時はよい時、
かぎりなくやさしいひと時。
それは季節にかかはらぬ、
冬なれば暖炉のかたはら、
夏なれば大樹の木かげ、
それはいつも神秘に満ち、
それはいつも人の心を誘ふ、
それは人の心が、
ときに、しばしば、
静寂を愛することを、
しつてゐるもののやうに、
小声にささやき、小声にかたる……
夕ぐれの時はよい時、
かぎりなくやさしいひと時。
若さににほふ人々の為めには、
それは愛撫に満ちたひと時、
それはやさしさに溢れたひと時、
それは希望でいつぱいなひと時、
また青春の夢遠く
失ひはてた人々の為めには、
それはやさしい思ひ出のひと時、
それは過ぎ去つた夢の酩酊、
それは今日の心には痛いけれど
しかも全く忘れかねた
その上(かみ)の日のなつかしい移り香
夕ぐれの時はよい時、
かぎりなくやさしいひと時。
夕ぐれのこの憂鬱は何所(どこ)から来るのだらうか?
だれもそれを知らぬ?
(おお! だれが何を知つてゐるものか?)
それは夜とともに密度を増し、
人をより強い夢幻へみちびく……
夕ぐれの時はよい時、
かぎりなくやさしいひと時。
夕ぐれ時、
自然は人に安息をすすめるやうだ。
風は落ち、
ものの響は絶え、
人は花の呼吸をきき得るやうな気がする、
今まで風にゆられてゐた草の葉も
たちまちに静まりかへり、
小鳥は翼の間に頭(こうべ)をうづめる……
夕ぐれの時はよい時、
かぎりなくやさしいひと時。