10.17.2010
マン・レイ展(知られざる創作の秘密)
魅力的な女性達との出会いが鏤められた生涯だったという。
その女性達を見たいと思い、展覧会に出かけた。
詩人、彫刻家、モデル、女優…
輝く表現者が次々と。
光を、互いに反映し合い、また、他者に反射して、煌めきの焦点が形成されたーーー
旧き良き時代。
二十代で、憧れの女性と短い結婚をし、解消した後、パリに渡る。
モンパルナスの女王キキ(1901〜1953)と同棲、マン・レイ(1890〜1976)が彼女のスタイリングを手がけものだという。
そのキキと、ロベール・デスノス(1900〜1945)が出演するフィルムが上映されていた。
ロベール・デスノスは、強制収容所で亡くなるのだが、夫人宛に、心打つ手紙が残されている。
ユキと名付けられた女性(1903〜1964?)で、藤田嗣治(1886〜1968)の元妻である。
マン・レイと親友ポール・エリュアール(1895〜1952)が、共同制作した本「facile」は、ポールの妻ヌッシュのヌードがとても美しい。
ヌッシュを大戦中に亡くした後、詩人は、ドミニクという女性と再々婚し、「Le Phénix」を捧げた。翌年、没。
ポール・エリュアールの若き日の妻は、ダリ(1904〜1989)に走ったガラ(1894〜1082)。
マン・レイ最後の伴侶;ジュリエットは、長谷川京子似の新鮮な風貌が(写真に)残っているが、晩年の姿(フィルムで見る)は、ちょっとイケスカナイ。老いる、とは、こういうことか。
手探りの実験を続けたようなマン・レイ。
人生を、劇場に擬えることもあるが、彼にとって、ラボラトリーだったかもしれない。
不断の取り組み、新しい視点、前人未到であり普遍的に受け入れられるテーマ、幸運な偶然。
精神にかかわる仕事で友に認められ、好きな人と生活し、恵まれた一生だ。
彼らに、深い悩みや苦しみはあった(からこそ力ある表現者であった)とはいえ。
時間に漂白されて鑑賞に値するオブジェとなっている。
展示を全部見て、少々疲れましたが(^_^;
(^_^;