9.23.2009

Jane Birkin


人は、見かけではないー が、見かけでもある!?
ジェーン・バーキンは、いつもジーパンとTシャツ&スニーカー。ぼさぼさの髪。矯正していない前歯。
その夜は、Tシャツの胸に、アウンサンスーチーの小さな缶バッチがメッセージを発していた。

”素”を曝して楽々と
愛され、崇め奉られさえする。さらりと、自然体で。
高価豪華な衣装を貧しくて買えないから、ではない”余裕”と、醸し出される”清潔感”の故、と解釈するのは、コジツケ半分(^^;)


本物のジェーンを目にした時、彼女の柔らかな笑顔、優しい声が心地よかった(^_-)-☆
これが総てではないか?

その柔らかさの内側に、愛するものを守るため、真摯に戦い、我が身が傷つくことも恐れない精神が息づいていることを、人々は知っているからー
好評の循環を呼ぶ。

じんわりと情け深く、へらへらしない。


翌日、テレビで、マイケル・ムーア監督のジーパン姿を見た。
我が道を行く正義の人のカッコイイこと!彼らは、優先順位を間違えていない、と思った。

アフガニスタンのベストドレッサー/カルザイ氏はどうなっているのか???

9.22.2009

山手線

イロイロ記念日、記念年はあるものだが、これは、「山手線」という”命名”の
百周年を祝って、昔色の列車を走らせたという。小豆色、と報道されていたが、チョコレート色でした(^^;)

1台だけ、循環していると聞きープラットホームで「最長1時間」待っていれば、目にすることが出来る計算、満更難しいことでもないかーとそそられたが、それは、本当に、昔の車両/実物ではなく、現行の列車に、パッケージを施したものだと説明されていたので、ナンダ、ソレナラ、態々”待ち構え”するほどのことはー無いと判断し…忘れていた。

ところが、しかし、偶然この列車に出会して、二駅分だけだったが、乗車できて、とーっても嬉しかった(^o^)/~~~~






6.26.2009

<そして、私たちは愛に帰る>ファティ・アキン


圧倒されてしまった。

何と苦しい、
苦しさから、ぎゅーっと絞り出される『ゆるし』。
深く愛するが故の行き違い、遮断、絶望、を、乗り越えて、
許すことによって『愛』の道に出る。

許すことが償い。
失ったものを取り戻すかわりに。

『信仰』が立ち入るところは、無宗教の民には、やゝ?縁が薄いようにも思ったが、
現実の問題を透過して、人間のありかたを、訴えかけられた。

画面の構成も、筋の運びも、良く出来ていながら
技巧に眩ませられない『本筋』の現れ方が素晴らしい。

さまざまな事を思い、思い出し、砂の上で、舟の帰りを待つ男は、ただじっとしている。
波が静かに寄せては返す。男の傍らで、何気なく、ビニール袋が、風に転がる場面も、良かった。

6.25.2009

みーはー(^^;)

その”翌日”であり、道すがら、というチャンスに、入ってみることにしました。
デザートのカウンター。

マンゴーたっぷり、リゾット


これが、前夜の(披露宴)デザートだったそうです。
チーズ・タルトにシナモンのクリームが重ねられている。ゴルゴンゾーラのソルベ添え。


Toshi Yoroizuka氏 の頭文字

6.06.2009

エカテリーナ二世

目黒の庭園美術館に、偉大な女帝の「デイナーセット」が、エルミタージュから、運ばれた。

●トルコとの戦勝を、プロイセン王から、祝う印(気持ちを表し好意を請う、かこつけて?)としてプレゼントされたもの。
白い磁器の肌は、如何ような図柄も引き受けられるので、記念のテーマを描かせて、贈答品とするのに適当。しかも、途方も無く高価なものだから(贈り物の)効果抜群。プロイセンは、領土問題を、宜しくお願いしたかったとか。
ロシア兵、トルコ兵、戦争の色々な場面が、綺麗に描かれている。クリーム器(ホイックプリーム用)も、小さな花瓶も、銘々用に揃えられていた。


●ピョートル大公(→ピョートル3世、1762)とゾフィー(→エカテリーナ)の結婚(1745)祝い、ザクセン王から。マイセン。
ロシアの守護神・聖アンドレイの十字架(X)が描かれている。磔られた人もリアルで、食欲を削がれそうだ (;´д`)


●1778年、かの有名な「女帝のポチョムキン」のために、注文された。ポンペイやヘラクレウムの再発見がセンセーショナルだったのだろう、バロックやロココが流行遅れになるほどの、「新古典主義」の隆盛。その趣味が込められている&セーブルの美しいブルー!
「1774年に即位したルイ16世と、新しく関係を結ぼうと、しゃれたお世辞でもあった」という解説が面白かった。卑近である。


●英国の「クイーンズ・ウェア」を名乗るウェッジウッドに依頼された。クリーム色地にセピアで墨絵(白描画)のように絵付けされたセット。英国の風景、建築物が、端正に表されていて、雅趣がある。英国趣味というものも、当時、一種の理想とされていたという。「セットの完成は、ウェッジウッドの名声を高めたばかりでなく、女帝の啓蒙君主としてもセンスを、全ヨーロッパに知らしめたのだった。」


●ロシアの最高位の勲章の一つ「聖ゲオルギー勲章」をモチーフとし、その受勲者たちのための宴に使われたセット。家の子たる将校、近衛兵たちを大切にしている、という印(気持ちを表し好意を繋ぐ?)。四角い金の勲章が、皿の真ん中に輝く。小さなカップの蓋の把手となる栗鼠が可愛い。メイド イン ロシア。


以上、5つを数えられるセットだが、展覧会の見出しは「四大ディナーセット」となっているのは何故?
トルコ戦勝祝いのセットは、「デザートセット」である(ディナーセットとなっていない)(^^;)
だから?ですかー


それぞれのセットが、800点、900点という量であるいるという。

数多の良く出来た人形たちも、目を引いた。

ロシア宮廷の、華麗なる御代は、時の流行に、力一杯、適合している。
クラスメートの中で、あっちを見、こっちに気を使う女学生のようだ。
抜かり無くトレンドを抑えて、リーダー格(^_^)v
田舎者の善良さと頑張りを見るような気もする。女帝は、西ヨーロッパの生活、衣食住、に憧れていた。
美意識や知性に近づく努力を怠らなかった。展覧会の5大セットは、女帝一代の稼ぎである。
ヨーロッパ諸国は、東洋の磁器に憧れて頑張ったのであったが。

何故、ヨーロッパは、あれぼど東洋磁器に執着を見せながら、長らく、
自ら制作することが出来なかったのか、不思議に思う。
「物」は入って来ていた。物を運ぶルートはあり、携る商人はいたのだから、
「作る人」を連れて着る(日本がやったように)、若しくは、自国の職人を、送り込んで、習得させる、ということは不可能だったのだろうか?
龍騎兵600名と龍紋の壷151個を取り替えたという話もある。(Dragon Vase)
それほどなのに、なぜ!

昔は、王侯にとっても贅沢なものであった。下々の者には、想像することも出来なかった磁器は、
今(気が付けば?!)ありふれたものになっている。
コンピューターというハイ・テクノロジーが、パソコンとなって、我が家にあっても、違和感のない時代になったことと、似ているかな?(^^;)

5.31.2009

「英国王給仕人に乾杯!」


素晴らしい傑作だ!という新聞評を読み、期待して見に行ったのだが…
一緒に行った人は「ぜんぜん詰まらなかった」と言う(;´д`)
私は、「見て損をした」とは思わないが、趣味が良いのか悪いのか分らないような映画だった。
過去と現在を回転ドアのように入れ替える手法も鮮やか、女性を花で飾ったり、 紙幣を美しいカードのように並べたりする装飾性、テンポのよい展開は、見ていて飽きさせない。

ひとりの男の辿った道、小さな国の来しかた、近い過去。
私は、中国の昔を連想してしまった。
「歓びの館」の主(車椅子)が中国商人のような風貌でもあった。
力(金)を持った男たちの、アラレモナイ酒池肉林の図。
また対照的な、”心ある男”が、異民族に支配されることを、潔しとしない態度。
主人公は、その潔い男ではない。
己の利のため、危いところに出入りしながら、辛くも
生きのびた庶民のひとり。
人生いろいろあるよ、あったよ。過ぎてみないと分らないもの。
今は分る(ように思う)歳を取るのもわるいものではないー
           この重奏低音?が聞こえるようにも思った。

日本語の題「英国王給仕人に乾杯!」は、イタダケナイ (;´д`)
ポスター(チラシ)には裏切られた気がする(>_<)
この題名にヤンが正装(勲章付き)した姿。
ヤンのいかがわしさを表している、と受け取れば良いのだろうか?

「わたしは英国王に給仕人した」と言ったのは、主人公ヤンの上司=文句のつけようのない給仕長、国(チェコ)最高のホテルの。

5.15.2009

阿修羅


「Story of …めぐり逢う美の記憶」(物語付きのカルティエ宝飾展/表慶館)を見に行った際、
横目で見て、余所事に思っていた「阿修羅展」の行列に、昨日、並んだ。
優に1時間。
並んでまで見るものか?と、訝しみつつ、友人に招待券(想定外)を貰ったのを無駄にしないよう(^^;)

1時間の間、読み進めた文庫本は「劔岳」(新田次郎)。命懸けで、凍える山に登る話である。読む私の周りは、緑の風、爽やかな五月の陽光に照らされて紙の上も明るい。
この本のお陰で、立ちながら待つ時間の”苦痛度”は下がったに違いない。

館内も(当然ですが)たいへんな人出で、どうなるものか、と思ったがーーー
阿修羅像は、輝いていた!以前、興福寺で、面会したことはあったが、その時よりー
また、本やポスターの写真よりー遥かに美しいと思った。
展示の仕方や照明のお手柄だと思う。嘘の美しさというのではない。本当に美しいからだと思う。しかし、これほど美しいとは!見せ方の上手さであろう。
他の、大きな仏頭や小さな水晶玉、色々なものも、見易く、見栄えよく、展示されていた。

阿修羅は、素晴らしいお顔、腕の細さも格好よい。手の指は、子供っぽい、これは、当初のものだろうか?
正面のお顔に比べて、左右の二人?の面は、気合いが足りない (;´д`)

常設展のほうにも、廻って、ゆっくり見る。(こちらは観客も疎ら)
序で、オマケと思うせいか、だらりだらりと(^^;)

一着(一領?)の鎧下着に目が留まった。
身頃は、産着を、袖は、女物の小袖を利用して作られたもの。白い絹と金の縫い取りが上質。
パッチワークのようなものだが、とてもデザインが良く、好ましかった。
鎧の下に着せるものとして、その人を、大事に包んだろうー
幸運を願われた人の姿を想像した。

そのあと、「尼門跡寺院の世界」展にも行く。
まことに愛らしい品々を見ることが出来た。一つひとつに、濃やかな手、時間が掛けられていて、長閑で、真摯な生活、豊かな文化を見る。

中には、凄く頼もしい尼様もおられたことが分る。
筆頭は、徳厳理豊尼という方。絵も、お上手だが、雄渾なる墨痕には吃驚した!
敬虔であり、責任感と実行力があり。

「阿修羅展」に名のある橘三千代(所持の阿弥陀三尊の素晴らしいこと!)も、よく解らないが?ゴッド・マザー。エネルギーと幸運に恵まれていたひとだろう。ヨソゴトながら(^^;)