11.28.2009

フロスト×ニクソン


このような、卑しげな男を、最高権力者として戴く国民を哀れと思いながら、見ていた。映画のなかでは、すでに老いてヨボヨボのニクソン。顔も話題もみっともなくて、高貴ならざることが、合衆国のリーダーの条件なのかしら?と、数多の大統領(だった人)達の様子を思い浮かべた。
“人間だもの…”で良いのか?
見たくない顔、聞きたくない言葉を、我慢しながら、ストーリーの展開を待つこと暫し---
対するフロストは、頑張って、輝く将来を切り開こうと野心満々である!
過去の人、と、未来の人。
伸び伸びと美しい女性がフロストに付き添う。実際、何者だろう?一人でファーストクラスに乗っていた若い女。
若いということは、過去が軽い分、爽やかであり、鮮やかな煌めきをまき散らしていることを、自分では知らないだろう。

フロストとニクソンの決闘は、フロストが、辛うじて、勝利を収める。悪を悪と認めさせる目的を果たした。
そして(それなのに)
必死で身を守るニクソンは、哀れを通り越して、魅力的になってしまった!

これは、悪党ニクソンを糾弾する物語とはならなかった。
力一杯闘った後、フロストは、(手強かったからこそ)親切な気持ちである。
強面のSPが、鬼の目にも涙を見せてホロリとさせる。まるで、家族のように、ニクソンを大切に思っているのだ。



映画を見た後、読んだ。これは、”大”自叙伝。
ワシントンポストの社主であったキャサリンさんの波瀾万丈の生涯。大変読み応えがあり、あの時代の一級の証言である。
同世代のケネディと共にあったキャメロットな日々のあと、
ニクソンが、思いっきり悪役を演じたウォーターゲート事件における正義の(責任者みたいな)人だった。

映画で描かれたフロスト×ニクソンの対決(1977年テレビ放送)の時は、ご存命だったのだが、そのことの記述がなくて残念だった。(2001年没)

11.05.2009

野点in三茶

ポスター

三軒茶屋という地名に掛けて、お茶の催し物がやってきた!

恐る恐る、だったが、
お茶も好き、茶碗も好きで、気になったので、遅れ馳せ、「スタッフ説明会」に行ってみて、参加を決めた。
「身を捧げる」ほど時間を提供しても良し、ちょっと、一部分、ささやかな時間でも良し。途中から途中でもオッケー、という。

私は、15日(木)の昼間だけ現場へ。

皆さん、人と繋がって、モノを作る喜びに、顔が輝いていたことよ(^_^)v(^_^)v

じんじんさんがお母さん、区のお世話役の方たちがお姉さん、という家の末子になって(年齢は逆だが)ウロチョロしていた楽しさ(^o^)/~~~~

じんじんさんの謦咳に接して、このように、小さかったころの子供たちの相手をする母親だったら良かったーと、しきりに思われたので、
男のじんじんさんをお母さん、と、敢えて言わせてもらう。赤いドレスに目が眩んだからではなく。
準備万端、安全確保、フリーハンドと丁寧な対話−許される裁量と忍耐強い笑顔ー深くセンシブルで抜かるところがない。


じんじんは、なかなかの美丈夫!


野点の設え。組み立て移動式。茶筅髷。

竃から取り出されたお茶碗を、磨くのがスタッフの仕事(の一つ)


今、作ったばかりのお茶碗で野点。

、豆を載せた豆皿はじんじんさん作。お客さん制作の茶碗と美しい調和。

竃入れを待つ茶碗たち


私のはこれ。焼く前の茶碗。

釉を掛けない外側は、煤の黒色に染められた。点々の色は、素焼きの地にしっかり染み込んだのだろう。ミモザのイメージで絵付け。

内側は、全面、白い釉薬を掛けてから、点々の色を入れた、つるつるの白地の上で、点々は焼かれながら滑ったようだ

(茶碗磨きのとき)スタッフの一人が持ち込んで使わせてくださった野外椅子。私もダイソーに行かなくては!

きむらとしろうじんじんさんの「野点」は、これからも、何処かで?開かれ続ける。何時の日か、是非、お茶を一服頂きに、参上したい。

10.12.2009

DAHLIA


薔薇を買おうと立ち寄った花屋に山盛りのダリア!あ、秋だ。ダリアらしいと思われる濃い色を選んで、一輪、買ってきた。(鏡の前に)
「天竺牡丹」というのも良い名前だ。





Grandvilleのイラストを1枚持っている。(最下段)

上二つは、他所の人の持ち物。
古い印刷物で、手彩色、同じであり、同じでない。

9.23.2009

Jane Birkin


人は、見かけではないー が、見かけでもある!?
ジェーン・バーキンは、いつもジーパンとTシャツ&スニーカー。ぼさぼさの髪。矯正していない前歯。
その夜は、Tシャツの胸に、アウンサンスーチーの小さな缶バッチがメッセージを発していた。

”素”を曝して楽々と
愛され、崇め奉られさえする。さらりと、自然体で。
高価豪華な衣装を貧しくて買えないから、ではない”余裕”と、醸し出される”清潔感”の故、と解釈するのは、コジツケ半分(^^;)


本物のジェーンを目にした時、彼女の柔らかな笑顔、優しい声が心地よかった(^_-)-☆
これが総てではないか?

その柔らかさの内側に、愛するものを守るため、真摯に戦い、我が身が傷つくことも恐れない精神が息づいていることを、人々は知っているからー
好評の循環を呼ぶ。

じんわりと情け深く、へらへらしない。


翌日、テレビで、マイケル・ムーア監督のジーパン姿を見た。
我が道を行く正義の人のカッコイイこと!彼らは、優先順位を間違えていない、と思った。

アフガニスタンのベストドレッサー/カルザイ氏はどうなっているのか???

9.22.2009

山手線

イロイロ記念日、記念年はあるものだが、これは、「山手線」という”命名”の
百周年を祝って、昔色の列車を走らせたという。小豆色、と報道されていたが、チョコレート色でした(^^;)

1台だけ、循環していると聞きープラットホームで「最長1時間」待っていれば、目にすることが出来る計算、満更難しいことでもないかーとそそられたが、それは、本当に、昔の車両/実物ではなく、現行の列車に、パッケージを施したものだと説明されていたので、ナンダ、ソレナラ、態々”待ち構え”するほどのことはー無いと判断し…忘れていた。

ところが、しかし、偶然この列車に出会して、二駅分だけだったが、乗車できて、とーっても嬉しかった(^o^)/~~~~






6.26.2009

<そして、私たちは愛に帰る>ファティ・アキン


圧倒されてしまった。

何と苦しい、
苦しさから、ぎゅーっと絞り出される『ゆるし』。
深く愛するが故の行き違い、遮断、絶望、を、乗り越えて、
許すことによって『愛』の道に出る。

許すことが償い。
失ったものを取り戻すかわりに。

『信仰』が立ち入るところは、無宗教の民には、やゝ?縁が薄いようにも思ったが、
現実の問題を透過して、人間のありかたを、訴えかけられた。

画面の構成も、筋の運びも、良く出来ていながら
技巧に眩ませられない『本筋』の現れ方が素晴らしい。

さまざまな事を思い、思い出し、砂の上で、舟の帰りを待つ男は、ただじっとしている。
波が静かに寄せては返す。男の傍らで、何気なく、ビニール袋が、風に転がる場面も、良かった。

6.25.2009

みーはー(^^;)

その”翌日”であり、道すがら、というチャンスに、入ってみることにしました。
デザートのカウンター。

マンゴーたっぷり、リゾット


これが、前夜の(披露宴)デザートだったそうです。
チーズ・タルトにシナモンのクリームが重ねられている。ゴルゴンゾーラのソルベ添え。


Toshi Yoroizuka氏 の頭文字

6.06.2009

エカテリーナ二世

目黒の庭園美術館に、偉大な女帝の「デイナーセット」が、エルミタージュから、運ばれた。

●トルコとの戦勝を、プロイセン王から、祝う印(気持ちを表し好意を請う、かこつけて?)としてプレゼントされたもの。
白い磁器の肌は、如何ような図柄も引き受けられるので、記念のテーマを描かせて、贈答品とするのに適当。しかも、途方も無く高価なものだから(贈り物の)効果抜群。プロイセンは、領土問題を、宜しくお願いしたかったとか。
ロシア兵、トルコ兵、戦争の色々な場面が、綺麗に描かれている。クリーム器(ホイックプリーム用)も、小さな花瓶も、銘々用に揃えられていた。


●ピョートル大公(→ピョートル3世、1762)とゾフィー(→エカテリーナ)の結婚(1745)祝い、ザクセン王から。マイセン。
ロシアの守護神・聖アンドレイの十字架(X)が描かれている。磔られた人もリアルで、食欲を削がれそうだ (;´д`)


●1778年、かの有名な「女帝のポチョムキン」のために、注文された。ポンペイやヘラクレウムの再発見がセンセーショナルだったのだろう、バロックやロココが流行遅れになるほどの、「新古典主義」の隆盛。その趣味が込められている&セーブルの美しいブルー!
「1774年に即位したルイ16世と、新しく関係を結ぼうと、しゃれたお世辞でもあった」という解説が面白かった。卑近である。


●英国の「クイーンズ・ウェア」を名乗るウェッジウッドに依頼された。クリーム色地にセピアで墨絵(白描画)のように絵付けされたセット。英国の風景、建築物が、端正に表されていて、雅趣がある。英国趣味というものも、当時、一種の理想とされていたという。「セットの完成は、ウェッジウッドの名声を高めたばかりでなく、女帝の啓蒙君主としてもセンスを、全ヨーロッパに知らしめたのだった。」


●ロシアの最高位の勲章の一つ「聖ゲオルギー勲章」をモチーフとし、その受勲者たちのための宴に使われたセット。家の子たる将校、近衛兵たちを大切にしている、という印(気持ちを表し好意を繋ぐ?)。四角い金の勲章が、皿の真ん中に輝く。小さなカップの蓋の把手となる栗鼠が可愛い。メイド イン ロシア。


以上、5つを数えられるセットだが、展覧会の見出しは「四大ディナーセット」となっているのは何故?
トルコ戦勝祝いのセットは、「デザートセット」である(ディナーセットとなっていない)(^^;)
だから?ですかー


それぞれのセットが、800点、900点という量であるいるという。

数多の良く出来た人形たちも、目を引いた。

ロシア宮廷の、華麗なる御代は、時の流行に、力一杯、適合している。
クラスメートの中で、あっちを見、こっちに気を使う女学生のようだ。
抜かり無くトレンドを抑えて、リーダー格(^_^)v
田舎者の善良さと頑張りを見るような気もする。女帝は、西ヨーロッパの生活、衣食住、に憧れていた。
美意識や知性に近づく努力を怠らなかった。展覧会の5大セットは、女帝一代の稼ぎである。
ヨーロッパ諸国は、東洋の磁器に憧れて頑張ったのであったが。

何故、ヨーロッパは、あれぼど東洋磁器に執着を見せながら、長らく、
自ら制作することが出来なかったのか、不思議に思う。
「物」は入って来ていた。物を運ぶルートはあり、携る商人はいたのだから、
「作る人」を連れて着る(日本がやったように)、若しくは、自国の職人を、送り込んで、習得させる、ということは不可能だったのだろうか?
龍騎兵600名と龍紋の壷151個を取り替えたという話もある。(Dragon Vase)
それほどなのに、なぜ!

昔は、王侯にとっても贅沢なものであった。下々の者には、想像することも出来なかった磁器は、
今(気が付けば?!)ありふれたものになっている。
コンピューターというハイ・テクノロジーが、パソコンとなって、我が家にあっても、違和感のない時代になったことと、似ているかな?(^^;)

5.31.2009

「英国王給仕人に乾杯!」


素晴らしい傑作だ!という新聞評を読み、期待して見に行ったのだが…
一緒に行った人は「ぜんぜん詰まらなかった」と言う(;´д`)
私は、「見て損をした」とは思わないが、趣味が良いのか悪いのか分らないような映画だった。
過去と現在を回転ドアのように入れ替える手法も鮮やか、女性を花で飾ったり、 紙幣を美しいカードのように並べたりする装飾性、テンポのよい展開は、見ていて飽きさせない。

ひとりの男の辿った道、小さな国の来しかた、近い過去。
私は、中国の昔を連想してしまった。
「歓びの館」の主(車椅子)が中国商人のような風貌でもあった。
力(金)を持った男たちの、アラレモナイ酒池肉林の図。
また対照的な、”心ある男”が、異民族に支配されることを、潔しとしない態度。
主人公は、その潔い男ではない。
己の利のため、危いところに出入りしながら、辛くも
生きのびた庶民のひとり。
人生いろいろあるよ、あったよ。過ぎてみないと分らないもの。
今は分る(ように思う)歳を取るのもわるいものではないー
           この重奏低音?が聞こえるようにも思った。

日本語の題「英国王給仕人に乾杯!」は、イタダケナイ (;´д`)
ポスター(チラシ)には裏切られた気がする(>_<)
この題名にヤンが正装(勲章付き)した姿。
ヤンのいかがわしさを表している、と受け取れば良いのだろうか?

「わたしは英国王に給仕人した」と言ったのは、主人公ヤンの上司=文句のつけようのない給仕長、国(チェコ)最高のホテルの。

5.15.2009

阿修羅


「Story of …めぐり逢う美の記憶」(物語付きのカルティエ宝飾展/表慶館)を見に行った際、
横目で見て、余所事に思っていた「阿修羅展」の行列に、昨日、並んだ。
優に1時間。
並んでまで見るものか?と、訝しみつつ、友人に招待券(想定外)を貰ったのを無駄にしないよう(^^;)

1時間の間、読み進めた文庫本は「劔岳」(新田次郎)。命懸けで、凍える山に登る話である。読む私の周りは、緑の風、爽やかな五月の陽光に照らされて紙の上も明るい。
この本のお陰で、立ちながら待つ時間の”苦痛度”は下がったに違いない。

館内も(当然ですが)たいへんな人出で、どうなるものか、と思ったがーーー
阿修羅像は、輝いていた!以前、興福寺で、面会したことはあったが、その時よりー
また、本やポスターの写真よりー遥かに美しいと思った。
展示の仕方や照明のお手柄だと思う。嘘の美しさというのではない。本当に美しいからだと思う。しかし、これほど美しいとは!見せ方の上手さであろう。
他の、大きな仏頭や小さな水晶玉、色々なものも、見易く、見栄えよく、展示されていた。

阿修羅は、素晴らしいお顔、腕の細さも格好よい。手の指は、子供っぽい、これは、当初のものだろうか?
正面のお顔に比べて、左右の二人?の面は、気合いが足りない (;´д`)

常設展のほうにも、廻って、ゆっくり見る。(こちらは観客も疎ら)
序で、オマケと思うせいか、だらりだらりと(^^;)

一着(一領?)の鎧下着に目が留まった。
身頃は、産着を、袖は、女物の小袖を利用して作られたもの。白い絹と金の縫い取りが上質。
パッチワークのようなものだが、とてもデザインが良く、好ましかった。
鎧の下に着せるものとして、その人を、大事に包んだろうー
幸運を願われた人の姿を想像した。

そのあと、「尼門跡寺院の世界」展にも行く。
まことに愛らしい品々を見ることが出来た。一つひとつに、濃やかな手、時間が掛けられていて、長閑で、真摯な生活、豊かな文化を見る。

中には、凄く頼もしい尼様もおられたことが分る。
筆頭は、徳厳理豊尼という方。絵も、お上手だが、雄渾なる墨痕には吃驚した!
敬虔であり、責任感と実行力があり。

「阿修羅展」に名のある橘三千代(所持の阿弥陀三尊の素晴らしいこと!)も、よく解らないが?ゴッド・マザー。エネルギーと幸運に恵まれていたひとだろう。ヨソゴトながら(^^;)

4.03.2009

昼下がりの雲


カメラ見本市  お台場に行く。
国際展示場駅 の 空 に、お似合いの飛行船!と雲が浮かんでいた!

アラスカ土産


行ってみたいな他所の国………と、思った、
が、
むかーし、トランジェットで空港にだけ、降りたことがあるのでした。
寒ーい国に、暮してみたい気もする…

アンダーグラウンド/エミール・クストリッツァ


エミール・クストリッツァという映画監督の存在に、今まで気が付いていなかった!

『ジプシーのとき』を、薦められて レンタルビデオ店で探したのだが、それは無く、同じ監督の「アンダーグラウンド」を借りてきた。(それも、推薦子のイチオシ映画!)

”大映画”だった!
舞台も大掛かり、ストーリーも骨太、シリアスかと思えば可笑しみもあり。
奇想天外な設定にあっと驚き、一人ひとりの人物の、明日がどうなるのか?とても知りたくなる。ばらばらに居なくなるのだけれど、演劇が終わって、カーテンが閉まった後に、全員が手をつないで舞台に姿を現すように、観客の目の前に、帰ってくる。身に受けたものを、忘れないが、許す、と。

忘れないが、許す、ということが、要諦。
曾って、ある国がありました、と、語り継いで行くために。

この映画が作られた1995年、ユーゴスラビアという国名は、存在していたはずだ、辛うじて。

一人ひとりが、生き抜くため、であっても、「自分(だけ)が正”義”」と思い上がって他を貶めては、悲劇の始まり、であり、情けない顔、と見える。

最後の場面、人々が立つ浮き島は、ユーゴスラビアの国土の形だろうか?

ところどころ、実写のフィルムが混ぜられているようだ。
映画自体が”劇”でありつつ、入れ子になった“劇中劇”も意味深い。
虚実混ぜ合わせ、見えないもの(歴史の流れの中に身を置いていてもー)を寓話のように語る。
(目に見えるものだけを信じては行けない)(大切なことは、目には見えない)
音楽もドンピシャリ。

曾って見そびれた『グッバイ・レーニン』(予告編は見た)も、あの辺りの映画だろうー

近ごろ見た『懺悔』(制作されたのは1980年だそう)も、思い出した。<cinematoday懺悔へ>
”不気味な好人物風”の独裁者が、気短かで愚かであることがとても良く判るのだけど…
映画(懺悔)を見ている最中は、スターリンかヒットラーのモノマネ(顔真似)と思ったが、
暫くして(何日も経って)あれは、毛沢東の容貌/体格にも似ているような気がしてきた。
恐ろしすぎて、冗談に紛らわせたい気分も分る…

1.27.2009

写真美術館


「THE LADY FROM SHANGHAI(1947)」のRita Hayworthではないが、サスペンスに満ちた女の顔、一度見たら、忘れられない写真だ。1936年頃。中山岩太、40歳くらいにあたる。彼は、私が生まれるより昔、54歳で、亡くなっている。




『甦る中山岩太-モダニズムの光と影」(3F)を見て、地階の「イマジネーション/視覚と知覚を超える旅』も覗く。
映画の赤ちゃんのような実演もの?を見せてくれる。
手を組んで狼の影絵を映し出すようなものから、覗き眼鏡、パラパラ漫画のような仕掛け?を経て、リュミエール(CINÉMATOGRAPHE LUMIÈRE)やエジソン社の作品、現代の今の!作品まで。

以下は、会場に掲げられた説明文から引用:<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<

BEYOND<視覚と知覚を超えて>
視覚と知覚を超えて、はじめて見えてくるものとは何でしょうか?
表現手法やメディアの変化が進んでも、受け手である私たちの体験の中に、映像の生命は託されています。もう一度目を開いて、よく見ることから、始めてみましょう。そして、見えているものの向こう側に、それぞれのイマジネーションによって新たなヴィジョンが、像を結ぶことを期待して。

Still in cosmos 制作にあたって  牧野貴MAKINO Takashi
chaos(混沌)とは、無秩序や、混乱状態を表すのではなく、「もの」それ自体に名前が無い状態、あるいは、そこが何処なのか、わからない状態の事を表すと考えます。例えば、鳥籠から逃げ出した一羽の鳥にとって、外の世界はchaosとなりますが、何羽も集うことで、やがてそこに、「安全な場所」や「危険な場所」というように、「名前」と「意味」をつけてcosmos(秩序)を作り出して行きます。
 地球上に存在する全ての生物は、自らの意思により生まれるのではなく、気がついたら、chaosの中に投げ込まれた状態にあります。そして、存在という根本的な無意味、恐怖を、cosmosを作り出す事により、克服していくのです。

.................(中略).....................

 人間は言葉で世界を創り、それが真実だと教育されていますが、本当は、言葉にも具体的なイメージにも成り得ない、たくさんの大切なものを抱えて生きているのだと思います。Still in cosmos の激しいカオスの中に、鑑賞者の数だけ、新しいコスモスが誕生する事を祈っています。

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春節デコラシヨン

『福』の字が”百”現されている切り絵をテーブルに(^_^)v(^_^)v








スイス土産/クッキー抜型を頂きました、エーデルワイス、国土の形、国旗、の3点セット(^_^)v(^_^)v


ランタン飾り


白梅と美人 美しき女流画家描くところの。




赤い絹糸の結び飾り、爆竹の束(の形に)。


シャンハイ・タンの赤い蠟燭

1.01.2009

新春

2009年 前向きの牛(^o^)/~~~~/伊勢神宮 神木の彫り物

今年の抱負、色々あれど(^^;)
一つ:月水金は、家事以外の外出をしない。原則。